大勝軒とは

東池袋「大勝軒」とは

「特製もりそば」というメニューがある。
つけ麺の元祖とされており、東池袋「大勝軒」の山岸一雄が考案したものだ。
東池袋「大勝軒」は、1961年(昭和36年)に開業。開業当初から行列の絶えない店として、数々のメディアが取り上げた。2007年(平成19年)の再開発計画により一時は閉店したが、閉店を惜しむ声に、一年後の2008年(平成20年)に復活。
山岸一雄が創り上げた味と心は、現在、「東池袋大勝軒本店」として、弟子の飯野敏彦が二代目店主として継承し、南池袋、滝野川などを直営店とし、修行を積んだ弟子達は、「大勝軒のれん会」として、地域に愛される味を提供するために、日々精進を重ねている。

大勝軒の原点

ラーメン界に刻まれた“山岸伝説”の始まり

山岸一雄は、1934年(昭和9年)に長野県中野市で生を受けた。
戦争で早くに父を亡くすも、一家の主として母親と妹の面倒を見続け、中学校を卒業後に上京した。
17歳の時、山岸は、向島で旋盤工としての腕を磨いていた。
職人になるべく、先輩にも社長にも期待をされていたが、ある日、慕っている従兄弟の兄貴(坂口正安氏)が突然訪ねて来て言った。『一緒にラーメン屋をやらないか』兄貴の熱い想いに惹かれた山岸氏は、阿佐ヶ谷・栄楽でラーメン修行を始める。
東池袋「大勝軒」の特徴である『自家製麺』・『手塩にかけたスープ』の基礎を築き上げながら、1951年(昭和26年)、兄貴と共に独立し創業。中野「大勝軒」を立ち上げる。
売上を順調に伸ばし、1954年(昭和29年)には代々木上原「大勝軒」を出店。この代々木上原「大勝軒」を本店とし、中野「大勝軒」は支店として山岸に任された。
味を模索し続けていく中で、つけ麺の元祖である「特製もりそば」を考案するに至る。

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大勝軒の心

味つけの基本中の基本

1961年(昭和36年)6月6日。
山岸は、周りに商店も繁華街もない場所にいよいよ店を構える。東池袋「大勝軒」である。
山岸は自分の“こだわり”を追い続けて研究を重ね、看板メニューである「中華そば」「特製もりそば」の味を完成させた。
山岸がもっともこだわっていたのは、お客さんへの感謝の気持ち。
「精いっぱい努力して、美味しいものをつくって、お客さんに喜んでもらおう」その心こそが「大勝軒」の味だと考えているからだ。

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大勝軒の未来

とどまる事を許されない、東池袋「大勝軒」

山岸は築き上げてきた東池袋「大勝軒」の味と心を、弟子達にも伝授していった。
2007年(平成19年)3月20日、再開発計画による立ち退きのため、余儀なく閉店するが、周囲からの復活の熱い要望が連日にわたっていくつも寄せられた。
2008年(平成20年)1月5日、旧店舗からほど近い場所に新店舗・東池袋「大勝軒」本店として復活。
現在は、その味と心を南池袋「大勝軒」の店主であった飯野敏彦がのれんと共に引き継いでいる。
東池袋「大勝軒」の厨房は、歴史を背負い未来を担った職人達の熱い心で満ちている。

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大勝軒の味

山岸一雄が東池袋「大勝軒」で完成させた味は、現在も守り続けています。スープはもちろん、麺も、チャーシューやメンマなどのトッピングもすべて自家製。素材を吟味し、素材の旨味を存分に引き出した東池袋『大勝軒』が誇るこだわりの味です。

工夫をこらした自家製麺
東池袋「大勝軒」の麺は、毎日毎朝、その日のためだけに作る自家製麺です。『多加水卵中太麺』といい、艶やかな白色に卵の黄色がほんのりとかかっています。つるりとしたソフト感の中にもコシがしっかりとした食感。
塩分を含んでいる灌水(かんすい)の比重が低いので体に優しい麺です。
大勝軒のラーメンはその”ボリューム”でも有名ですが、おなかいっぱい食べても飽きのこない工夫が麺にこめられています。

手間を惜しまずに創りあげたスープ
東池袋「大勝軒」のスープは、げんこつ・豚足・鳥がベース。そこにひき肉の旨みと甘みがミックスされ、さらに煮干・さばぶし・魚粉といった海の幸を加えることで、魚の風味とコクがしっかりと活きた豊かな味を創りだしています。
つけ麺用のスープには、しょうゆ・甘酢を加え、あっさり感をプラスしています。

秘伝の旨みが凝縮されたチャーシュー
東池袋「大勝軒」のチャーシューは、精選した国産のもも肉を使用し、山岸一雄が完成させた秘伝のたれでじっくりと炊き上げて作ります。
やわらかさを出しながら、肉の持つ味わいを最大限に引き出しており、食べごたえは満点です。

じっくりと作り上げるメンマ
東池袋「大勝軒」のメンマは、乾燥メンマ(真竹)から丁寧に戻しを加え、特製のタレで味付け。完成するまでに、3日~4日もの日数をかけ、しっかりした歯ごたえと濃厚な味に仕上げています。

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