テオティワカン遺跡
【歴史】
テオティワカンはメキシコ盆地を中心として、350年から650年の間に繁栄の頂点に達した。推定人口は20万人以上。
平和的な神制政治は全ての政事を司る神官を頂点に軍人、商人と階級分けされ、最下層の職人たちも職種別に各々の地区に整然と暮らしていた。
【建築様式】
タルー・タブレロという様式で、傾斜する基盤の上に垂直な板面をはめ込んだ基段の積み重ねによって、巨大なピラミッドを形成している。
今は石面がむき出しになっているピラミッドも、以前はしっくいで覆われ、顔料で壁面が彩色されていた。
<地図>
企画展示館前の死者の道から北方向を眺めた様子です。 道の先に見えるのが月のピラミッドで、右に見えるのが太陽のピラミッドです。 ここから月のピラミッドまでは2km弱あります。 |
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まずはケツァルコアトルの神殿です。 ここには多くのレリーフで覆われており、 ケツァルコアトル(羽毛の蛇、水と農耕の神)と トラロック(雨の女神)の彫像などがある。 ちょうど、行った時期は神殿そのものには立ち入り禁止でした。 神殿の一部にはかすかに赤や緑の色が残っているそうです。 |
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ケツァルコアトルの神殿頂上から周囲を見た様子です。 (正確には手前の高台です) 城壁に囲まれてるという様子が分かりますか? |
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さて、お次はケツァルパパロトルの宮殿内部です。 ここは昔、何をしていた場所か覚えてません。 (ガイドさんが説明はしてくれんだけどね。 日差しが強くてボーッとしてました・・・・。) でも、朱色の壁が残っているのが見えますか? 昔はこのように鮮やかな色をしていたのです。 |
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さあさあ、いよいよ月のピラミッドです。 この遺跡で2番目に大きいピラミッドです。 ピラミッド前の広場はこちらの月の方が広いため、重要度は高く、大きな宗教儀礼は月のピラミッドを中心に行われていたと考えられているそうです。 ピラミッドの頂上に小さく点が見えます? あれは観光客です。 手前にいる人とほぼ同じと考えると、スケールの大きさが分かってもらえると思います。 |
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ピラミッドのどの辺かは覚えていませんが、途中の階段です。 どのくらい急な階段かは写真で分かってもらえると思います。 ちなみに、階段の石と石の間に小さな黒い点があるのが分かります? これは修復した事を示すための石だそうです。 修復したものと、そうでないものを区別するためにこうしたそうです。 |
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月のピラミッドより、死者の道方向を見た眺めです。 まっすぐに死者の道が続いています。 今は2kmほどしかありませんが、文明の最盛期は何十kmも続いていたそうです。 ちなみに、左奥に見えるのが太陽のピラミッドです。 では、今度は太陽のピラミッドへ向かいましょう。 |
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急な階段って、下りの方が大変なんだよね・・・・・ | |
さあ、ずんずんと死者の道を歩いて太陽のピラミッドに向かいますよ。 ちなみに、最初に訪れたケツァルコアトルの神殿から月のピラミッドまでは歩いていません。 遠くて暑いから車で移動です(笑) |
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さあ、ふもとまで着いた! こっちもでかいなあ・・・・・。 高さは65m、底辺の一辺が225mで、底の面積はエジプトのピラミッドよりも大きいそうです。 ちなみに、階段は全部で248段。ひえ〜 |
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やっぱりこっちも急な階段ばっかり。 メキシコシティは高地なので、空気が希薄なためにすぐ疲れてしまいます。 ゆっくり休憩しながら登るのが良いのです。 (単なる運動不足か?!) |
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無事に到着! あまり雰囲気が頂上っぽくないですが、頂上なのです。 奥に月のピラミッドが見えています。 |
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ちょっと変だけど、太陽のピラミッドから死者の道を眺めた様子です。 右端の月のピラミッドからまっすぐに死者の道が続いているのが分かります。 |