文昌 
華僑の故郷の文化の美

宋氏一族、100年の伝奇

海口から東南へ車で約1時間走ると、海南島東北部にある文昌市に着く。この有名な華僑の故郷には、宋慶齢の名前が付いた慶齢路という道が走っており、道に沿って進んでいくと、街を出てから1時間もかからずに宋氏祖居(宋氏一族の邸宅)にたどり着く。ヤシの木に囲まれたこの邸宅は二つの正屋(母屋)と四つの横屋(離れ)からなっており、海南島北部の住宅の典型的な風格を有している。このような普通の農家から、中国近代史で高い名声を誇る宋氏一族が誕生したのである。

 現在、公開されている「宋氏祖居」は1985年に宋家の邸宅の昔の姿に基づいて修繕された。「宋氏祖居」という扁額は88年に鄧小平氏が書いたもの

1864年、宋氏一族の礎を築いた宋耀如はここで生まれ、幼年期を過ごした。宋耀如はもともと韓教准という名前で、家が貧しかったため、9歳のとき、兄に付いて南洋へ出稼ぎに行った。75年、韓教准は遠く米国で商売を営む母方のおじの養子となり、姓を宋と改め、養父と共に海を渡り、米国で商売を学んだ。85年、学業を修めた彼は帰国して布教活動をしながら事業を興し、その間に孫中山(孫文)と知り合い、彼の革命思想に傾倒した。宋耀如は孫中山が「興中会」や「中国同盟会」を計画・創設することに積極的に協力し、巨額の資金を集め、国民革命に一生の精力を捧げた。

 宋氏一家が1917年に上海で撮影した家族写真。宋耀如(3列目左)と倪桂珍(3列目右)の6人の子どもたち。宋靄齢(2列目左)、宋慶齢(2列目右)、宋子文(2列目中央)、宋美齢(後列右)、宋子良(後列左)、宋子安(前列)

宋耀如には、順に宋靄齢、宋慶齢、宋子文、宋美齢、宋子良、宋子安という6人の子どもがいたが、皆、中国近代史における有名人ばかりだ。中でも「宋家の三姉妹」はその並外れた貢献と卓越した影響力により、美談として伝えられている。父である宋耀如の影響を受け、あふれるばかりの愛国の熱意を持った宋慶齢は、孫中山が率いた民主革命を積極的に支援かつ参加し、彼の助手兼最も親しいパートナーとなった。宋美齢と宋靄齢もそれぞれ中国近代史の風雲児である蒋介石と孔祥熙に嫁いだ。宋氏一族が中国近代史に与えた影響は非常に大きいといえる。  宋氏祖居記念館の符策群館長は次のように語る。「宋耀如のような人物がこの文昌に現れたのは、ある種の必然性があります。海南の郷土文化と自然環境が寛大な心とチャレンジ精神を育てたのだと思います。宋耀如と彼の子どもたちは自己の精神を海南に還元し、海南に大きな精神的財産を残しました」

 

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