「李合肥」と呼ばれた男

 

 合肥は昔から「人傑地霊(優れた土地から素晴らしい人材が世の中に出ること)」と言われ、数々の有能な政治家や商人を輩出して来た。傑出した才能を発揮する彼らの一生には、人知れぬ合肥ゆかりの物語があり、聞く人の心を打つ。

  古代中国には、「籍貫代名」という名付け方があった。つまり、その土地に生まれ育ち、大きな事業を成し遂げた人物をその土地の名で呼ぶ習慣だ。歴史上、「合肥」と名付けられた人物は2人だけ。「段合肥」と呼ばれた清末民国初の軍閥政治家・段祺瑞(18651936年)と「李合肥」と呼ばれた清の大臣・李鴻章(18231901年)だ。李鴻章といえば、中国近代史における重要人物であり、洋務運動を通じて中国の近代化を推し進めた一人だ。彼の政治家としての行いに対する評価は、今でも賛否両論だが、ふるさと合肥に対する貢献は大きいものだった。合肥の重要な遺跡である「中廟」「包公祠」「城皇廟」などは、全て李鴻章の提案か寄付によって修復工事が施され、観光客に開放できるようになったのだ。
 

李鴻章の故居。地元で高い地位にある大家族だった李家は、典型的な文官の屋敷で、家屋の造りも立派で凝っている(写真・施玉芹)