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家庭のきずな |
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私は刑務所勤務の内科医で、病気の受刑者の診療をしています。刑務所に勤務する前、受刑者は体格が良く、恐い顔つきで全身に入墨がある、というようなイメージを持っていました。実際に診療した受刑者達は、高齢者や他人とうまくコミュニケーションが取れない人、軽度な知的障害を持った人など弱々しい人がたくさんいました。
刑務所で受刑者が診察を受ける時、受刑者は診察室の入り口で称呼番号という受刑者一人一人に与えられる3桁の番号と名前を言ってから、診察室に入ってきます。田中さん(仮名)という50代の男性受刑者がいます。彼は知的障害があり、自分の称呼番号がどうしても覚えられません。いつも診察室の入り口で「えーと、えーと」と言って、困ったような顔をします。警備に付いている刑務官がイライラしているのが分かります。私は思わず「123番だよ。」と彼の番号を言ってしまい、彼もほっとしたように「123番田中、入ります。」と言って診察室に入って来ます。
彼は手術ができない肝臓癌ですが、癌の病巣にいく血管を詰まらせ、癌を小さくする治療が可能で、刑務所に入る前に何度かその治療を受けてきました。私は今回もその治療を受けることを勧めました。しかし「その治療は辛くはないけど、治療を受けて生きて刑務所を出ても、社会で生きていく自信がないから、もう治療は受けなくていい。」と言います。日を改めて合計3回治療を勧めました。田中さんに治療を勧めている時、私の心には、Sr.古木涼子が作曲・作詞した「いのち」という曲の「生きて!生きて!生きて欲しい」というフレーズが繰り返し流れてきて、祈るような気持ちで彼の返事を待ちました。しかし、結局彼は3回とも治療を拒否しました。田中さんの家族に、病気の説明をするため連絡を取ったのですが、家族は「今まで彼には散々迷惑を掛けられてきました。もう連絡をしないで下さい。」と言ってきました。彼は刑務所に入る前から家族とも疎遠だったようです。
その治療をしなければ、彼は数ヶ月から1年程で亡くなるでしょう。患者がどのような医療を受けるかを自分で判断すること自体は尊重されるべきだと思います。しかし「社会で生きていく自信がないから」という理由から、治療を受けないということは、大変悲しいことです。彼にとってこの世はとても生きづらい場所だったのでしょう。せめて最期には「この世も悪くなかったなあ」と思えるように、私は彼と向き合っていきたいと思います。 |
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