留学生とトークの会活動報告



●留学生トークの会のご案内

この会はNPO日本ウズベキスタン協会の留学生支援事業として、留学生と多くの会員および一般の方々とともに相互の文化交流を図り、理解を深め、人と人の和を広めることを趣旨としております。
内容としてはウズベキスタンの最新情報、経済、歴史、生活、あるいは留学生の日本での体験などさまざまなテーマを学生たちと相談し、また、参加者の希望に添って決めております。
アットホームな雰囲気の中で、いろいろな大学で学んでいる学生たちの豊富な知識、素朴な感性そしてパワフルに情熱的に語る姿勢に私たちも元気をもらい、また大きな感銘を受けることも度々です。
2007年留学生とトークの会活動報告(2013.08.09掲載内容一部削除)
 
2007.12.18 第 75 回留学生とトークの会
【講 師】 蕎麦職人 檜山
【日 時】 平成 19 年 12 月 18 日(火)
【テーマ】 留学生と楽しい蕎麦打ちコミュニケーション!
 12月18日(火)に留学生とトークの会が行なわれました。
 12月は例年蕎麦打ち会なのだそうですが、今年もこの日のために石臼引きの新蕎麦を北海道の鹿追町から取り寄せられたそうで、つなぎ無しの蕎麦を味わうことができました。
 私が18時半過ぎに会場に着いた時には部屋の真ん中に大きな蕎麦打ちの道具が置かれ、既に茹で上がった蕎麦が次々に振舞われて大変盛り上がっていました。
 私もさっそくいただきましたが、さすがのおいしさに感動でした!
 後から聞いたのですが、嶌会長も私の到着前に立ち寄って食べていかれたとか。残念! お目にかかりたかったです。
 他にサラダなどの軽食や飲み物もたくさん用意され、30名ほどの参加者は和気藹々と談笑し、初参加(実際には4年前に一度だけ参加)同然の私もすんなりと溶け込み楽しむことができました。
 留学生は中国からのカイ・ケイさん、そしてウズベキスタンからの二人は同じ名前のサンジャル君が参加してくれました。カイ・ケイさんは蕎麦きりにも挑戦していましたよ。

 私にとって特筆すべき出来事がありました。
 私は4年半前にウズベキスタンを旅行しました。その折に、サマルカンドで当時15歳のオビッド君という少年が我々の観光バスにガイド見習いとして乗り込んできました。小柄で可愛い少年でしたが、大変感じがよく、また寸暇を惜しんで熱心に漢字を勉強している様子が大変心に残りました。
 帰国後、私はオビッド君から教えてもらった住所に手紙を出してみました。オビッド君と日本語で文通するだけで、彼にとっては大変いい日本語学習になるのではという通信教育の添削の仕事をしている私ならではの発想でした。

 しばらくしてオビッド君から来た手紙を見て、私は驚きました!
 便箋よりも大きな紙に4枚びっしりと書かれていました。日本への憧れ、将来の夢、日本語学習の様子、家族のこと、自分の日常のことなどを書いた日本語の文は、漢字がたくさん使われており、意味がわかりにくいものはごく僅かしかありませんでした。日本語を習い始めてまだ1年ほどと聞いていたので、私はその文を見て心打たれました。
 彼と文通し、日本語を添削してあげよう。彼の日本語学習にきっと役に立つだろう。それが彼との交流の始まりでした。手紙の中に、自分は山本先生に日本語を習っていると書いてありました。それで私は、山本先生のアドレスを聞いて教えてと書きました。そうして、サマルカンド外国語大学でボランティアで日本語学習指導にあたられていた山本雅宣氏とも交流が始まりました。

 私はいつも山本先生とお呼びしていましたが、その山本雅宣氏とこのトークの会でお会いしたのです。
何という偶然でしょう! メールではもう4年来の付き合いでしたが、初対面でした。一度お会いしたいなぁと思っていたのがトークの会でその思いが叶うなんて…

 オビッド君は一浪の後、タシケント国立東洋学大学に合格しました。その折には恩師山本先生もサマルカンドに行かれていて、彼の合格を共に喜ばれたのです。彼の家庭が経済的に学費を出すのが困難なのはわかっていたので、私が4年間、足ながおばさんを務めることになりました。私が足ながおばさんをやっているというと大抵の人が驚きます。
 しかし、私は、「大学に合格したら学費は支援してあげよう。」との私の言葉を信じ、驚異的な努力と精神力で合格を果たした彼に、むしろ感動させられました。今やウズベキスタンにいる息子と感じているオビッド君。これもきっと縁なのでしょう。

 留学生とトークの会に参加させていただきながら、ウズベキスタンや様々な国の事情を楽しく学んでいきたいと思っています。

(斎藤 和世)


2007.11.20 第 73 回留学生とトークの会
【講 師】 ウスモノヴァ・グルソラさん (国士舘大学大学院教育学)
ウスモノヴァ・バフティヨルさん(国士舘大学21世紀アジア学部ビジネスコース4年)
【日 時】 平成 19 年 11 月 20 日
【テーマ】 「日本での生活、日本とウズベクの子供たちと教育など」

■ 誠実で真摯な生き方を求めるイスラムの世界

 11月20日のトークの会の講師はウズベキスタンのサマルカンド国立外国語大学を出て国士舘大学大学院人文科学研究科2年のグルサラさん(奥さん)と国士舘大学21世紀アジア学部ビジネスコース4年のパフティヨールさん(ご主人)のご夫妻でした。
 日本に来てまだ2年あまり流暢な日本語を話され他にもウズベク語、英語、ロシア語、タジク語など話せる優秀なお二人、まず日本に来たとき困ったことが、アパートの件でした。不動産屋というものはウズベクには無いので途方にくれていたところ日本の友人がアパートも見つけてくれてお金も出して返済は卒業の時でいいと言われてとっても感激でした。
 が、しかし何にもない、ガスコンロも無いので急須にティーパックを入れてコンビニにお湯だけ貰いに行ったとか。食生活では日本のご飯に馴染めず、パンは味が付いているし、豚肉もアルコールも当然だめですし、牛肉にいたっては,日本のように電気屠殺されたものは食べてはいけない、などの苦労話から始まったのですが、イスラム教のはなしに質問が集中しました。  イスラム教について、われわれへの情報は必ずしも正確なものは無く、知る機会が無いにもかかわらず、世界の中で大きな潮流となっています。今回のトークは、信仰篤い二人の熱心で誠実な会話で、出席した人たちは、それぞれズシリと重い受け止め方をしたと思います。
 いくつか彼らのコメントを記しておきます。・イスラム教の戒律は厳しいと思われるが、実はとてもシンプルな宗教です。具体例を挙げると、イスラム教でハラール(Halal)として許されているものは人の身体や家族にもいいもので、ハラーム(Haram)として許されていないのは、人の身体にも、家族にも弊害をもたらすものであるからです。
 牛肉や鶏肉でもお祈り(アッラーの名で始める。アッラーは偉大なるもの)を言いながら血を抜いたもので無ければ食べられない。そういう肉を扱う店は新大久保や新宿にあるそうです。
 女性は、結婚できない人(例:父、兄、弟など…)とは握手をしてもいいけれど、それ以外の異性とは握手をしてはいけない。婚前の二人きりのデートはよくない。
 イスラム教で、4人までお嫁をもらうことが許されています。これは、イスラム教をよく知らない人々には、女性のことをあまり重要な立場においていないように聞こえるかもしれません。しかし、それは違います。このように制限されるまでは、当時の男性は好きなほどお嫁をもらい、プレゼントなどあげるどころか、ものみたいに扱っていた。夫に死に別れた女性を一緒に埋葬したり、夫から残った財産と一緒に人に渡されたりしたのです。イスラム教はこのようなことを許さなかった。イスラム教は、お嫁をもらうことに制限を決めた。コーランにも、4人をもらうときは、全員に平等に(経済的にも、愛情的にも)扱ってください、平等に扱う力がなければ、一人をもらってください、と書いてあります。さらに、お嫁にもらうとき、男性は女性の好きなもの(ものの大きさや値段は決まっていない)をあげなければなりません。そして、そのものは女性のみのものになります。イスラム教は、このように当時ものみたいに扱われていた女性を大事にした上、さまざまな権利等を与えたのです。
 お酒を酌み交わすなども絶対ダメ(今回のトークの会もいつものアルコールはやめました)。それは、上記したように、身体に弊害をもたらすものは人に許されていないからです。
 一日に5回礼拝をおこなうこと。朝の礼拝と夜の礼拝は面倒だと思うときもあるが、モスクで礼拝をおこなった後は非常に清々しく気分が良いものだとか。でも女性はモスクには行けない。家でお祈りしなくてはいけないということでした。

・ソ連時代にはイスラムは抑圧されていたので、彼らの父母たちは、イスラムを知らない層である。若い彼らは、留学前の学生時代に親戚など縁者をきっかけに、モスクでイスラムの教えを習得してきた。

・非イスラム信者に対しイスラム信仰を説くことはコーランにより定められているが、最終的に異教徒を否定はしない平和的なもの。世に言われているイスラム原理主義はイスラムではない。
 ウズベクの彼らにはスンニ、シーアなどの派はない。

・信仰心のない国民(の判断)は恐ろしい(損得の判断が優先する現代
の日本人には耳が痛い)。

・自分で作って、また壊すことが出来るものを信仰するのはコーランによって否定されている。 ところで、グルサラさんは、羽仁もと子の教育論(自労自治・自活的自由の側面)を研究しています。羽仁もと子は子育てに関しては親の責任が大きいといっているそうです。
 子供が問題を起こした時、このごろの日本では学校の責任を問うようになっています。ウズベクではそのような発想はせず、親の教育責任を問うそうです(日本もかつてはそうでしたよね)。現在の日本は「個人」優先でそのことが度を過ぎているのではないか、という感想も持っているようですが、それも信仰の一面と思えました。  イスラムのことを こんなに詳しく身近に話を聞いたのは初めてのことだっただけに、そのストイックな姿勢に圧倒され、新鮮な驚きとともに私たちには理解しがたい部分も沢山残った二時間でした。もっともっと聞きたいと思いました。
 後日、グルサラさんから、「皆様が質問攻めで、熱心にお話を聞いていただいてうれしかったです。」というメールを頂きました。またぜひお二人のトークを聞きたいと思っています。

(渋谷 和子・檜山 彰)


2007.10.16 第 72 回留学生とトークの会
【講 師】 史さん (一橋大学日本語教育専攻 博士課程に在籍)
【日 時】 平成 19 年 10 月 16 日
【テーマ】 「私が見ている日本」

 講師の史さんは 8 年前来日、日本語学校、学習院大学卒業、一橋大学の日本語教育専攻の博士課程の方です。トークの会のために 5 ページにもわたるレジメを準備して熱心に語ってくれました。

 話を伺うと、大変しっかりした考えを持って留学中であることが良くわかりました。単に日本語だけでなく、日本の文化、日本の精神を理解し、それに関心を持っている自国の人たちに伝えたいという希望を聞いてうれしく思いました。

 お話はいろいろあり、自国中国に関すること、また日本についての感想など多岐にわたりました。

 例えば自国については「言論の自由」が単一国家の維持のため抑制せざるを得ないところもあるが、もっと自由が必要であるとか、共産党の「一党独裁」ではなく将来的には対立する数党があるほうが良いと思うとか、また中国は現在まで経済優先の政治を行ってきたため「環境保全」を殆んど無視してきたが、経済と環境保全がバランスよく発展してゆくことが今後の課題となるし、それには日本の経験に大いに学ぶべきだし、中国へ進出する日本企業も日本国内でと同様の環境対策を行うべきであるとか、更に、「一人っ子政策」の現在までの光と陰の部分に対して、そして、これから若者が支えてゆかなければならない高齢化社会の問題等々…。史さんの目配りが多方面にわたっていることがわかりました。

 日本についても、「自由の名の下に行き過ぎたマスコミ報道やワイドショーが、マスコミ自らの首を絞めることになるのではないか」(私も史さんにまったく同感)や「戦争」とそれに伴う悲惨さについての考え(当然のこと国の違い、年代の差があるので私とは理解が異なる)、「いじめの問題」等について話された。

 史さんは親や友人たちの理解と援助によって留学が可能になっているという考えがあるので、真摯に勉学に励み、何年か後には帰国し、自国の学生たちに「自分の眼で見た日本」を伝えたいと思っていらっしゃる。本当に喜ばしいことだと思います。今後のご活躍を期待します。

(花井 寛)


2007.09.18 第 71 回留学生とトークの会
【講 師】 ファム・ヴィエト・デュクさん (横浜国立大学大学院)
【日 時】 平成 19 年 9 月 18 日
【テーマ】 ベトナムの多様性と発展性

パワーポイントで多様で美しい
民族風土を紹介するデュクさん


 今回は財団法人みずほ国際交流奨学財団の紹介でベトナムからの講師を迎え、ベトナムの多様性と発展性について PowerPoint を使って流暢な日本語で話をして頂いた。ファムさんはベトナム・ハノイ出身、ハノイ国家大学卒業後、ベトナム石油公社などに約 8 年間勤務、2002 年 7 月来日、横浜国立大学院国際社会科学研究課博士後期過程に在籍、専攻は国際経済法、現在横浜に在住、趣味は読書(特に歴史)、スポーツ、等。

 講演はベトナム社会主義共和国についての概要を、地理的な位置、政治体制、ベトナム宗教、人種、最近の経済発展、伝統的祭り、外交関係政策・実行、 南シナ海の紛争、日本・ベトナム関係 経済関係、等にわけて貴重な写真と数字のデータを駆使して説明してくれたので出席者も大変興味を持って聞くことが出来た。
 特に人種については、人口 8,411 万人(2005 年)のうち、ベトナム民族(キン族)が全体の約 86 %を占めており、その他、中国人(華僑)1.3 %、クメール(カンボジア)1 %、山地居住の 53 の少数民族が多種多様な文化を築いている。又経済発展という点では 2006 年の GDP は 604 億米ドルで一人当たり 715 ドルとなっており、経済成長率は 2006 年は 8.17 %、 2007 年は約 8.20 %を見込んでいる。日本・ベトナムの関係では 1992 年 11 月以降経済協力を再開、日本はベトナムにとって最大の援助国で 2005 年度の援助額は円借款、無償資金協力、技術協力合わせて総額 1,009 億円となった。 2006 年度については日本政府は総額 1,039 億円の拠出を表明しており、今後共大きな経済発展が期待されている。

 ファムさんは来年博士課程終了後に帰国し、大学で学生を指導する教員として、ベトナムの人材育成に貢献したい。個人的な希望として、出来れば日本の中古教科書、参考書、等をベトナムに送り、学生の教材にしたい。もし日本の企業、学校で協力をしてくれるところがあれば、寄付をして頂ければ有難いという。

 今回の日本での長期留学は専門知識を習得するだけでなく、人生の貴重な経験となった。これからも日本の法律、経済、文化、等しっかり勉強、体験してもらい、将来日本とベトナムの友好の架け橋となるべく、ベトナム学生に日本の現状を正しく伝え、教えてほしいと念願するものである。

(浅海 茂)


2007.07.20 第 70 回留学生とトークの会
【講 師】 マリオ・シアハンさん(東京大学)
【日 時】 平成 19 年 7 月 20 日
【テーマ】 インドネシアが日本に学びたいこと

 今回は財団法人アジア学生文化協会の紹介でインドネシアからの留学生を講師として迎え入れた。講師マリオ・シアハン君はスマトラ島出身のジャカルタ育ちの青年で日本語の流暢な学生である。彼は一度早稲田大学の理工学部で勉学に勤しんだ後、インドネシアに残した家族の理由でやむなく帰国。今回再び来日して東京大学で「政治経済」を勉強している。

 彼は 1997 年に初めて来日したが、そのときの第一印象は「日本は平等だな〜」だったそうな。また、チケットを買うのもみな順序良く並んで購入する姿は彼の目には珍しく映ったそうだが、日本人にとっては当然の行為が彼のような他国出身者の目には物珍しく映るという点はトークの会全般に共通する現象と言えよう。ただし、来日前のイメージは「ドラえもん」と「おしん」だったというのも笑えたが…

 トークの会前半でマリオ君は彼の母国インドネシアの紹介に DVD を見せてくれた。インドネシアは 15,000 余の島々からなり広さは日本の 5 倍、多民族・多言語で総人口は 2.2 億。石油を代表とする資源豊富な国家であるとともに、自然、文化、ホスピタリティーに満ち溢れる美しい国だった。会の参加者にはバリ島への旅行経験者もおり、うなずく場面も多かった。

 もっともマリオ君の意図はこの DVD を使ってインドネシアへの観光を募るつもりではなく、一般に日本人には知りえない国内事情を見せようとしていたと思う。

 例えば、将来を担う若い世代はマリオ君を含め、海外へ留学する者も少なくない。しかし残念ながらインドネシア国内の政治・経済事情が魅力的では無いために、海外で得た知識、見識を国内に持ち帰ることなく、海外でそのまま職に就く者も多いそうな。

 そこで、インドネシアが国家的なプロジェクトとして教育を充実し全国民の意識レベルを高め、マリオ君のような高い意識レベルの人材が日本で得た見識を母国へ持ち帰り、生かしてくれることを切に願う。

 (追 記)
 9 月 9 日テレビ東京「吹け!アジアの新風」でマリオ君は、トークの会と同じように愛国の想いのこもった発言をしていました。

(長谷川 敦)


2007.06.19 第 69 回留学生とトークの会
【講 師】 ハサン・ヘジャイリさん(一橋大学大学院博士課程)
【日 時】 平成19年 6 月 19 日(火)
【テーマ】 「バーレーンについて」

 雨模様で蒸し暑かった6月19日はバーレーンのハッサン・ヘジャイリさん(25歳)が講師である。ヘジャイリさんは一橋大学大学院で「バーレーンと湾岸諸国の比較経済史」を学んでいる。ヘジャイリさんによると人口は70万人で国土の広さは日本の奄美大島と同じである。

 私もバーレーンについては何も知らないので興味があった。地図で見るとサウジアラビアの東にある島でカタールの隣である。1971年に英国から独立した国であり、首都はマナーマで人口の80%はシーア派で20%はスンニ派である。ヘジャイリさんはシーア派で、警察官や教員はスンニ派が抑えている。その上に失業率は25%で若い人でシーア派の人が多い、という。

 ビールを飲みながらの気楽な話なので「何で日本に留学したのか」と聞いた。広島にいる人と文通しているうちに日本に関心を持った。空手も習っている。日本に対しての印象は「街がきれいなことに驚きます」と言う。今の日本がきれいといわれると面映い気がした。日本に来る前は米国のシカゴ大学で勉強した、という。バーレーンには良い大学がないので日本で学んで、日本で働く希望を持っている。妹は英国に留学した。

 趣味はウードという6弦の日本の琵琶のようなものを弾くことである。アラビア人のようにシマークというスカーフに黒い輪のエガールを載せて、ウードを弾いてくれた。日本の曲の桜まで弾いてサービスしてくれた。最後は空手の型を披露した。

 その後の2次会にも参加してくれたが、中華料理屋で豚肉の入ったものは食べなかった。イスラムの人は豚は食べないことを改めて知った。ビールや紹興酒は飲んでいた。
  (阿部 和義)
2007.05.22 第 68 回留学生とトークの会
【講 師】 ノムポン・マーシャマードンさん(東京大学修士課程)
ニックネーム「プーさん」
【日 時】 平成19年 5 月 22 日(火)
【テーマ】 「タイのシンデレラ娘」
 


シンデレラとファーストレディーを囲んで
 
■ 夢をいだいて日本へ
 タイ国東北部、バンコクからバスで 8 時間もかかるという、田舎村に生まれ育った彼女「プーさん」が、日本にあこがれを懐いたのは、はじめて日本の文字に接し、その「可愛らしさ」に虜になった時からのようです。この素朴な感情から日本語の勉強を始めてみると、さらに多様な表現に出会って、一層日本語が好きになりました。
 大学に進むための生活費や学費は、みなアルバイトで稼がねばなりませんでしたが、日本人先生の思いやりや、また親切な日本人ボランティアの助けもあって、奨学金を受けることができました。また別の日本人の厚意を得て、日本旅行のチャンスにも恵まれました。その時の「感激!」まさに夢のようでした。4 年生になって交換留学生に選ばれ、幸運にも南山大学で学ぶことができました。さらに今は東大の大学院に学んでおります。彼女によれば、非常にラッキーの連続であったと振り返っています。

■ 現在の勉強、今後の研究課題
 東大の大学院では「言語学」を専攻しています。それには自らの母国語をしっかり理解した上で掛からねばいけないと教わりました。したがって、せっかく日本に来ていながら、日本語と対比しながらタイ語を研究することになっています。修士論文は、使役動詞、日本語の「…させる」にあたるタイ語における意味、用法上の相違点にしぼり込んでおります。

■ 日本の印象・日本語の魅力
・ 日本ってこんなに平たい国?
 はじめて関西空港に降り立ったときの印象でした。あとで海の中につくった人工島と知りました。
・ 日本人パンクチュアル
 あらかじめ聞いてはいましたが、彼女の乗ったバスが、出発時刻の 9:00 の時報と同時にエンジンが掛かったのが驚きでした。
・ あいさつの言葉
 「いただきます」「ごちそうさま」に当るタイ語はない。季節のあいさつも天候に関するあいさつもない。日本では相互にいたわり感謝する気持ちが出ていて、それが非常に魅力的です。
・ 通訳をしていて
 アルバイトの通訳をしていて、同じようにタイ語になくて、とっさに困ることがあります。

■ 質疑応答の中から
・国王・王制について
 聴講する人から活発な質問がありましたが、現在の国王に対しては、国王のおもいやりのある行動から、国民の皆が国の父として尊敬する気持ちを持っているそうです。
・ 結婚の儀式
 一般的には、それぞれが自分の寺に出向き、おそなえをし、披露には参列者が、結婚した者に聖水を掛けてあげるということのようです。

■ 最後に
 プーさんの穏やかで、謙虚な態度が極めて印象的でした。何より、明るく、人懐っこい笑顔に心暖まる 2 時間でしたが、心安さから質問者の話しから脱線することしきり。なお安倍昭恵夫人もお忙しい中、久しぶりにご参加いただき、留学生(今回はプーさんのほかにカイケイさん(中国)が参加)との会話は大いに盛り上がりました。
  (新休 泰三)
2007.04.17 第 67 回留学生とトークの会
【講 師】 エンフボルト・アラナ(モンゴル)
【日 時】 平成19年 4 月 17 日(火)
【テーマ】 「モンゴルについて」

 「花冷えというより真冬に逆戻りしたような氷雨しょぼ降る寒い寒い 4 月 17 日、トークの会はモンゴル出身のエンフボルト・アナラさんを講師にむかえてのお話でした。
 まず、その長身にビックリ…。195 cm と言うアナラさんは、17 歳の時、山形の高校に留学。現在は嶌会長も教えてらっしゃる白鴎大学の 4 年生。将来はモンゴルの国のために仕事をしたいとの情熱を持っている爽やかな男性。
 本当はアメリカに留学したかったけど、アメリカより安全だということとお母様が日本に留学され、日本が大好きだという理由で日本に決めたけど、来日 6 年の今は日本食も含めてみんな気に入っているということでした。
 モンゴル国は、北はロシア、南は中国に接していて、冬はマイナス 40 ℃、夏は 40 ℃を超え温度差は 80 ℃を超えるという厳しいところ。人口は約 280 万人、その三分の一は首都ウランバートルに住み都会的な生活をしているということ。あとの三分の一くらいを占める遊牧民の暮らし振りについての話。どこまでも続く広い広い牧草地帯。肉が主食でご飯は添え物といった感じの食事だけど今はキャベツ、じゃが芋、人参、玉葱といった野菜も取り入れるようにしているそうです。
 戸籍というものは無くてお父さんの名前が苗字でその下に子供の名前をつけるという男性主導の国。
 アナラさんが日本にきてのカルチャーショックは山形の和式トイレ、海の水の塩っぱかったという話、苦手だった納豆が今は大好き、でも梅干は食べられない。チンギスハンはモンゴルの英雄だし、白鵬は高校の 1 年後輩だが、見る見る大きく育った話。ナーダムという遊牧民の祭りでの相撲、競馬、弓などの競技や冬暖かく夏涼しいゲルなど大自然の中の大草原の香りが伝わってきました。
 また、遊牧民の主な収入源となっているカシミアは日本でも品質のいいものとして知られています。
 一ヶ月の生活費が日本円にして約 4 〜 5 万円くらいとか。もっともっとお話を聞きたい楽しい 2 時間でした。
 また当日はアナラさんを紹介してくれた中国のカイケイさん、そして日本人のお母さんを持つイスラエルのブルメンライヒさんも参加してくれました。
 総じてトークの会に来られる留学生のみなさんは前向きで明るく情熱を持って自国を誇りに思っているという感じをいつもうけます。
 チョッピリ羨ましい。
  (渋谷 和子)
2007.03.30 トークの会 お花見大会
【日 時】 平成19年3月30日(土)
【会 場】 一橋大学通り(JR中央線国立駅)

 3 月 31 日(土)、国立の一橋大学通りにて毎年恒例のトークの会のお花見大会が開催されました。

 生憎当日は朝方うす曇、気温も低く、キャンセルされる方も 7 名程でましたが、それでも留学生、OB 、OG 、7 名を含めて総勢 26 名が参加、昼過ぎには気温も上がり、それ程寒いことも無くビール、ワイン、日本酒、焼酎等のお酒も回り、お寿司、おにぎり、各種惣菜等でいつも通りの大宴会、大いに盛り上がった勢いで二次会のカラオケ大会に突入、結局夕方 6 時の解散まで時間の経つのも忘れて大いに一日楽しい一時を過すことが出来ました。

 本当に皆さんお疲れ様、ご苦労様でした。
  (幹事:小泉 基靖)
2007.02.21 第66回留学生とトークの会
【講 師】 マヤさん、グーリヤさん
【日 時】 平成19年2月21日(火)
【テーマ】 「ウズベキスタン女性が見た日本」

 今回はサマルカンド出身の美しい女性を迎えてのトークです。まずグーリヤさんは昨年の秋に就学ビザで来日したばかりで、今は市川の日本語学校で大学院受験を目指して頑張っています。

——彼女が見た日本の様子は、時間をキチンと守り、素直にごめんなさいと謝る事に、自国との大きな違いを知ったそうです。でも笑顔で話しますが、なかなか心の中がワカラナイ!と戸惑っています。本音と建て前の見分け方は日本人でも難しいですものね——

 メゲないで下さい。これから日本で勉強した事を生かして将来は博物館の学芸員か日本語の教師としてサマルカンドで働きたいと、大きな目標を持った明るく元気なグーリヤさんです。これから多くの人達と接して日本で成長される事を願っています。そして、学生ビザを取得できる時を応援しております。

 マヤさんは 2 年前に来日されましたが、その動機が素晴らしいのです。サマルカンドの外語大の中にある日本語センターで、漢字を見て、その美しさに感動をし、魅せられて日本語を勉強したと言う、豊かな感情にあふれたマヤさんです。

▽ 漢字のない国から来た私でも漢字を見ているとその意味が理解できますし、気持ちも表現している事に『なんて素晴らしい文化』かと思います。それに比べ、平仮名は並んでいると文章の切れ目がわからないので、意味もわからなくなります。漢字の中では特に母と言う字が大好きです。

▽ 続いて私たちも日頃痛感し憂慮しつつある事をマヤさん既に感じ取られていました。「日本の若い人は携帯やパソコンが生活の中心なので、漢字が読めなかったり、書けなかったりしているのが、惜しいです」と述べられました。

▽ そんな日本と漢字をこよなく愛してくださったマヤさんは日本語学校を終了して 3 月に帰国をします。看護士になりたいと言う彼女の志が叶う事を私たちは願っております。出会いがあれば別れがありで…。

 トークの会で多くの留学生と繰り返してきました貴重な時間を共有できました事に感謝したいです。これからも全て「一期一会の心で」と思ってます。
  (加藤 浩子)
2007.02.17 課外活動 トークの会「ボーリング大会」
【日 時】 平成 19 年 2 月 17 日(土)
【会 場】 田町ハイレーン
 2 月 17 日(土)、田町ハイレーンにて毎年恒例のトークの会主催留学生達との交流ボーリング大会が盛大に開催されました。
 当日は小雨模様で寒かったのですが留学生 7 名を含めて総勢 22 名の参加者があり、ワイワイガヤガヤ誠に賑やかにおのおの 3 ゲーム投げ、トータルスコア「 515( 146、179 、190 )」で慶応大学の学生、アクマル君が見事に優勝しました。
 大会終了後は全員で中華バイキングでの表彰式、及び懇親会を行い交流を深めることが出来ました。
 参加者の皆さんには本当に喜んで頂きいつもながら結果オーライで幹事冥利につきました。
 参加者の皆さん、誠にありがとうございました。
 尚、最後に今回のイベント開催に当たりましては田町ハイレーン様、また、賞品としてご寄付を頂きました上野東天紅様には多大なご理解とご支援を賜りましたことに心より感謝と御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
(檜山 彰、小泉 基靖)

 以下参加した留学生から届いたお礼のメールを紹介いたします。

 私にとっても初めて参加することで大変光栄でしたし、今まで会っていない日本在住のウズベク人にもお会いすることができました。イベントがボーリングゲームの連発でキックオフしました。驚くことに、無いといって良いほど経験が浅いのにも関わらず私のスコアが 1 位になれたのです。ゲーム中の非常に温かい雰囲気のお陰で参加者の皆様と親密に交流することができました。
 合計 3 ゲームで構成されたボーリングゲームが終了した後、たくさんの料理や飲み物が用意された宴会場へと上がりました。参加者は全部で 20 人強いました。料理は最高に美味しかったです。主催者の皆様へ感謝したいと思います。優勝者のプレゼントをいただいた時に参加者の全員一人ひとりと挨拶を交わしました。商品券などのプレゼントが贈られたのは優勝者のみならず、参加者ほぼ皆でした。これは主催者の皆さんの温かい心遣いと言えるでしょう。私は、優勝者として高級中華料理店のクーポンをいただけました。
 今回のイベントの主な目的はウズベキスタンを軸にいろいろな出会いの場を設けることだったと思います。開始から終了まで 5 時間でしたが、あっという間にと言えるほど極めて楽しい時間でした。イベントは大成功でした。
 留学生に一切負担をかけず、寛大なおもてなしでイベントを設けてくれた主催者の皆様へ改めて感謝したいと思います。日本でも何かあった時に親切にケアしていただける、頼れる皆様がいることでとても心強いです。皆様のウズベキスタンやウズベク人に対する愛情が、自分の国を新たに誇り思えるきっかけとなりました。
(慶応大:アクマル)
「みなさまへ」
 日本ウズベキスタン協会主催の 2006 年 12 月、2007 年に入って 2 回の集まりなどに参加して楽しく過ごしております。いつもご親切にお招き頂きありがとうございます。
 私達の人間社会において一番大切なことは人々と仲良くすることだと思います。人々が集まり一緒に行動することでこの暖かい関係が創られることはまちがいありません。
 ボーリング場での集いは素晴らしい企画でした。ゲーム中の何回かの競い合い、終わってからの表彰、そして中華料理店でのおいしい食事とうちとけた話し合いなど楽しかったです。
 たくさんのウズベキスタンの学生さんと日本人の方が自己紹介をしてくれました。私はウズベキスタンの学生さん達にとってウズベキスタン協会のような日本側からの支援を受けられると言うことはとても大切なことだと思いました。私達は大変有益な話し合いができました。お会いしているうちたくさんのビジネスマンの方々がカザフスタンの印象を話してくれました。私は日本カザフスタン協会が早くできればいいな、と思っております。  もう一度ありがとうと申し上げます。皆様方のすばらしい活動がおおきく広がっていくよう願っています。
(カザフスタン:ナディア・ムサトヴァ)
 

2007.01.17 第65回留学生とトークの会
【講 師】 ホサム・ダルウイッシュ
【日 時】 平成19年1月17日(水)
【テーマ】 「シリアについて」
日本ウズベキスタン協会 トークの会 報告
シリアについて 発表者 ホサム・ダルウィッシュさん

 2007 年 1 月のトークの会の会場は、開会前から期待と熱気に包まれていた。 「シリア」何というロマンチックな響きだろう。 古代文明のゆりかごとなり、数多くの歴史上の重要な出来事を経験し、古代以来の文化遺産の宝庫というのが持っていたイメージである。 日本では遠いということもあり、その素顔についてはあまり知られていないというのが実情ではないだろうか。 そのシリア出身の方をスピーカーに迎えるめったにない機会なのであるから、皆の期待が大きくなるのも当然である。

 このような会場に現れたのは、ダマスカス出身で現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科に籍を置き「平和構築・紛争予防」について博士課程で研究を行っているホサム・ダルウィッシュさんという好青年である。 特に、遠く離れた日本に視点を置いて中東を見るというユニークな立場で研究を行っているとのことである。





シリアの概要紹介
 まず、用意されたレジュメによりシリアの概要を紹介していただいた。
 正式名称はシリア・アラブ共和国。トルコ、イラク、イスラエル、ヨルダン、レバノンと国境を接しており、日本の約半分の国土に 1800 万人が暮らす。 言語はアラビア語、宗教は多数派のイスラム教とキリスト教が主である。
 主な産業は石油と天然ガス産出で、繊維工業、農業(小麦、オリーブ、サトウキビ)が重要とのこと。
 歴史的には長い間オスマン・トルコの支配下にあったが、1918 年フランスの委任統治領となり、1946 年にフランスの統治から独立した。 独立後、一時期エジプトと連合国家(アラブ連合共和国)をつくるなど複雑な現代史を歩んできた。

歴史に彩られたダマスカス旧市街のスライドよるツアー

 大まかなシリアのプロフィールの紹介の後は、写真によるダマスカス紹介である。 正に“百聞は一見にしかず”。 歴史的建造物が多いダマスカスの町を視覚的に案内していただいた。 実は、プロジェクタの調整がうまくゆかず、赤味がかった画面であったが、歴史に彩られたダマスカス旧市街の美しいたたずまいがよく伝わってきた。

映像によるベリーダンス

 圧巻は、動画によるエキゾチックな音楽にあわせての絶世の美女によるベリーダンスのパフォーマンス上映であった。 赤味がかったプロジェクタの調整不良が妙に効果を発揮し、無機的な会議室があたかもダマスカスのパフォーマンス会場に時空を超越してスリップしたような錯覚に陥った。 参加者一同、思わず時間の経つのも忘れるほど画面に引き込まれて見入ってしまった。 パフォーマンスが終わると、予定を 30 分も超過していたことに初めて気づいた。

 このように、シリア紹介の夕べは、時を忘れさせるほど中身の濃いものであった。 しかし、奥の深いシリアをもっと知りたくなったというのが参加者、皆同じ感想であろう。 ホサム・ダルウィッシュさんには、再びトークの会に登場いただいて更に理解を深める手助けをお願いしたい。 また、日本に視座を据えて取り組まれている「平和構築・紛争予防」の研究が不安定な中東地域の安定に貢献できるよう期待しております。
  (文責 昔農英夫)
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