日本人の唯一の三蔵法師 霊仙(りょうせん)
公開日:
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最終更新日:2021/03/16
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私の時代の三蔵法師といえば夏目雅子でした。
このコンピは良かったですね。
中国の西遊記の玄奘(げんじょう)三蔵法師が有名ですが、
彼は一般的には陳褘(チンキ)という名前で、法相宗の開祖でもあります。
法相宗は、奈良の薬師寺が有名ですね。
三蔵法師とは、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のことで最高の尊称です。
日本人の唯一の三蔵法師 霊仙(りょうせん)
霊仙(りょうせん)は遣唐使として、最澄と空海と同時期に唐(現在の中国)に渡りました。
サンスクリット語(古代インドの言葉の一つ)を師匠の僧侶から聞き取りそれを漢字に翻訳したのです。
サンスクリット語を聞き取り、更に漢字に訳したということは、
その言葉に通じるだけでなく、真意や表現にも相当長けていた事がわかりますね。
この功績が時の中国の皇帝に認められ、三蔵法師になったわけです。西暦800年代の事です。
その経典が、大正二年(1913年)1100年の時を経て滋賀の石山寺で発見されました。
このことにより霊仙の功績が明らかになったわけです。
最澄、空海は無事帰国して天台宗、真言宗を開き、日本に大きな影響を与え、
またその名を知らない人はいないでしょう。
霊仙は遣唐使として、最澄と空海と同時期に唐(現在の中国)に渡りました。
霊仙は、三蔵法師という最高の尊称を頂きながらも帰国できず
(中国の皇帝が帰国を許さなかったそうです)中国の地で生涯を閉じました。
歴史にもしも、はありませんが、霊仙(りょうせん)が帰国していたら、
日本の社会にも大きな影響を与えていたでしょう。
霊仙も凄いですが、このような日本人は
海外でももちろん日本にもいます。
当時の遣唐使はもちろん船でいくわけですが、
無事に唐(現在の中国)にたどり着けるかどうかも
わからず、リスクも大きかった。
しかし、そのリスクがあったとしても
挑戦した結果、
日本には戻れなかったが、中国で名を残し、功績を
残したというのは凄いことです。
感じることは、何時の時代も
挑戦することの大切さです。
もちろん、霊仙がとても優秀ということは
間違いないことですが、
遣唐使に乗り、異国の地で学ぶという挑戦。
そして船での移動でのリスクは
命がけだったと思う。
日本には、有名な偉人とそうでない偉人もいる。
時とともに、再評価されてくる偉人も今後出てくるでしょう。
このような歴史探究も楽しいものです。
もし、あなたが知っている偉人の方で、
社会的にあまり知られていない方がいましたら、是非教えてください。
ご紹介頂けると有り難いです。
楽しみにお待ちしております。
石川博信
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