株式会社BOSパートナーズ
Home企業理念企業情報支援メニューアクセスベンチャークラブ上田のつぶやき事務委託サービスメルマガ登録・解除

● コラム

 

 

■第1弾  株式会社篠崎屋 

  5年前私がブックオフスタートアップを設立した直後、新橋のおでん屋で後輩のワイズテーブル庄司副社長に呼ばれて会った威勢の良い人物が篠崎屋社長樽見茂氏である。彼は既存流通の不公平さを訴え、新に外食事業を展開し、豆腐の市場拡大を図りたいという夢を語ってくれた。私も彼の熱い気持ちに動かされて会った直後に出資を決め、加えて外食事業の展開をサポートすることを約束した。
 樽見茂氏の魅力は、気がつくと彼のペースになって彼の手のひらに乗せられていることだ。せんげん台の三代目茂蔵1号店を見て、FC展開を進めようと提案し、FC加盟店を2社先ず紹介し、外食事業はスタートした。その後外食事業は、山あり谷ありであったが、樽見茂氏は、機敏に軌道修正をかけ、物販事業を軌道に乗せ、その強い想いが証券会社、東証を動かして当時でも非常に珍しいことであるが豆腐メーカーとして初の上場を実現したのである。その後も積極的に買収等をしかけ、その存在感を高めていることは言及するまでもないかと思う。
ベンチャー経営者の成功の秘訣は、(1)ビジョン・夢を語り多くの応援団を作れるか、(2)失敗しても迅速に軌道修正をかけて儲かる仕組みを作れるか、(3)高い志を持続できるかだと思う。この要素を樽見茂氏は持っていたのだと思う。しかしながら今後の課題は今手がけている事業を形にしていくことではないか。本業を伸ばすことができずM&Aに走っている企業は、いずれ失速することは多くの事例が物語っている。


樽見茂著 『おいっ 豆腐屋』

樽見茂著 『豆富バカが上場した!』

<ページ先頭に戻る>


■第2弾  株式会社 ランシステム 

田中社長のチャレンジと
失敗の集大成が“自遊空間”です


ファミコンチェーン 『桃太郎』からの脱却
 もう10年以上前のことです。私(上田)がまだ銀行勤務時代に面白そうだと思って狭山の小さな一軒家のような事務所に飛び込んだことからランシステムとの物語は始まります。社長は急な階段を上がった奥の部屋で、ほとんどブースに区切っている意味がないぐらい大きな声で話していました。
 そのころのランシステムは、『桃太郎』というファミコンソフトの販売店を展開していましたが、いずれ頭打ちになることは田中社長も十分に認識されていたのです。なんとか次の柱を探さなきゃいけないよね」という話で一致、それから私は、いろんな情報を提供したり、意見交換を続けました。だんだんと信頼関係が生まれ、気がつくと私がアイデアを出して、田中社長が実践する、うまくいかなかったら即撤退する、という関係ができあがりました。
 最初は、家庭用ゲームの延長のゲームセンター。社長自身も興味を持たれていたし、ちょうど社長にうまい話をしてくる人もいて、私が紹介したのではないけれど、とにかくやってみようということになりました。結果は、売上げのいい店と悪い店がはっきりしていて、それに対する有効策がない、つまりあまりうまくいきませんでした。
 その次がカラオケ。これは装置産業的な要素が大きく、ハードもソフトもどんどん変わってくるので初期投資だけではなく、追加投資がかかるのです。さらにお客様はきたないところより、きれいなところを志向するので環境に弱い、手軽そうに見えて相当資本力がかかる事業であるということがわかりました。そんなには利益が出ないのであんまり追わないほうがいい、という結論です。
 次に出てきたのがビリヤード。ビリヤードは田中社長がキューを作っているメーカーの社長から「これからビリヤードの時代がくる」という話を聞いて展開をしてみたのです。『桃太郎』のフランチャイズにも訴求して、ある程度広がりました。ただビリヤードは流行に左右され、ブームが来たり去ったりすることと追いかけっこです。旬の短いビジネスで、新規出店した店が、半年後、1年後に劇的に売上げが下がってしまう、という状態でした。

まんが喫茶はあるけど、すべてプライバシーがない!
 そのころ、私が「名古屋駅周辺で“まんが喫茶”という、ロードサイド型の“まんが”を吸引力としたビジネスが流行ってるよ」という話を田中社長に伝え、さっそく一緒に見に行きました。ここがインターネットカフェ業態創業のキッカケです。視察後、「まず、自分たちがやれること、ビリヤードのお店にまんが喫茶コーナーを作ろう」ことになりました。施設の一角にまんがを置くこと自体は新しいことではなく、ボーリング場や新宿の紀伊国屋書店の地下などにありましたので、徹底的に調査したところ、すべてプライバシーがない、顔と顔が合ってしまう。女性からすると眼と目があってしまい、非常に入りづらい、ということがわかりました。「何とかできないか」「ここをなんとかすれば絶対に女性客にも受ける」という思いを強くし、「個室型、ブース型のまんが喫茶を開発しよう」ということになったのです。ブースを作るということは、一般的に考えればカラオケと同様に装置産業化してしまうことが最大の経営リスクです。そこで、私は中国でブースなどを開発し、輸入することで出費を抑える提案をしました。もともと田中社長は日曜大工のプロ、私は中国のプロでしたので、信頼できる中国人を田中社長に紹介して試作を繰り返しました。もちろん、当時の中国に日本のように職人芸を持つ企業があるわけではありません。最初からそんなにうまくいったわけではなく“同じサイズで出来上がらなくてはいけない製品のサイズが全て違う”など、さまざまな問題が勃発しました。しかしあきらめることなく、田中社長自らが中国に乗り込んでやりとりをされる中で、なんとかある程度きちんとした形で製造ができるようになっていったのです。自遊空間が、自ら開発、発見した強い業態として成長する可能性が大きく開けた瞬間でした。

自らが実際にやってみて、失敗し学ぶ、そこに関わってきた
 自ら実際にやって失敗や成功を体験し、その経験に基づきながらさらにいろいろなビジネスをアッセンブルして進化させていく、そのプロセスに私は関わらせてもらうことができました。通常の銀行員やベンチャーキャピタルと違って、社長のビジネスそのものを作り上げる過程に関わって一緒になって作り上げていく、そういう経験を持てたことは私にとっても有意義なことでした。しかし、それが私の本業ではありません。田中社長の経営者としての資本政策のお手伝い、ランシステムの資本政策こそが私の仕事です。私は銀行を辞めてブックオフスタートアップを創業しましたが、ブックオフコーポレーションからランシステムへの出資を橋渡しするなど、上場前後に渡り、さまざまなアドバイスをしてきました。
 その後は、ブックオフスタートアップとして自遊空間の店舗拡大のお手伝い、つまりフランチャイズの開発業務を初期の段階から手掛けています。競合やコピー店は増えたものの、本家である自遊空間のフランチャイズ展開は順調に推移し、今日に至っています。そういう企業にかかわっていることを嬉しく思いますし、今後の仕事のスタイルも変わりません。臭いをかぎつけたら自分なりに消化して経営者に情報として提供する。それを経営者がビジネスとして実践し一緒に成長していく、そこに私は夢を描き続けていきます。


田中千一著
『インターネット・まんが喫茶を発明したのはわたしです。』


<ページ先頭に戻る>

 
お問い合わせメディア取材について当サイトの運営方針サイトマップ