1章
マッカーサーがやって来た
2章
焼け野原から復興
3章
追及される戦争責任
4章
揺れる政治・外交
5章
空手チョップにわいた
6章
高度成長の足音
7章
高度成長とひずみ
8章
激動の政治、冷戦下の外交
9章
揺れる国内
10章
流行を追って
11章
娯楽とともに
12章
「バブル」と昭和の終わり
13章
失われた20年
14章
グローバル化のうねり
15章
あの日の衝撃
16章
世界で活躍
17章
平成のトレンド
18章
災害列島
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用語解説
1978(昭和53)年3月26日、開港前の成田空港管制室占拠事件。過激派ゲリラたちにメチャメチャにこわされた管制室の内部
1978(昭和53)年5月20日、過激派ゲリラによって管制室を破壊され、開港が延期されていた成田空港は、1万人を超える機動隊員が厳戒態勢を敷く中、午前零時をもって開港した。これに対して、空港建設に反対する三里塚・芝山連合空港反対同盟は、空港近くの三里塚第一公園で総決起集会を開き、あいさつに立った戸村一作委員長は闘争の継続を宣言した。写真は、開港反対を訴えて集まった農民たちや支援学生で埋まった三里塚第一公園=千葉県成田市
1978(昭和53)年5月21日、5月20日午前零時で「出直し開港」した成田空港に翌朝、ロサンゼルスから一番機の貨物便が到着、「国際空港成田」での運行が始まった。午後零時4分には旅客一番機のフランクフルトからの日本航空446便がサテライトフィンガー22番ゲートの搭乗橋に横付け。報道陣のフラッシュを浴びながら82人の乗客が成田空港に第一歩を踏み入れた。写真は、旅客機第一便の乗客たち。大塚茂新東京国際空港公団総裁(前列右から2人目)らが見守っていた
1978(昭和53)年5月22日、開港当初の成田空港
開港延びる-新東京国際空港-
東映ニュース974号より