ヒクソン戦 秋にも、勝ち負けより感動を
「練習は柔道時代に比べて10分の1、いや100分の1かな」 |
小川直也 プロレス
おがわ・なおや 東京都生まれ。明大時代の1987年、世界柔道選手権無差別級で史上最年少王者(19歳7カ月)に。92年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダル。97年に中央競馬会を退社し、プロに転向。翌年、猪木のUFOに参加。193センチ、115キロ。32歳。
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小川はどこまで強くなるのか。もう、前に立ちはだかるのは400戦無敗というヒクソン・グレイシー(ブラジル)しかいない。秋に対戦実現か? 勝算は?
◇ ◇
――プロレスで大活躍ですね。柔道時代を知らない若いファンも多いかも。
4年くらいたっちゃってますからね。早いですね。
――そもそも、小さいころプロレスは見てらしたんですか。
小学校のころは結構、金曜8時のテレビ中継を。おれは裏番組の「太陽にほえろ」派だったんですけど、弟がタイガーマスクとアントニオ猪木のファンで、登場する時だけチャンネルを替えて。でも、将来プロレスラーになんて、思ったことはなかったし、まして悪役なんて思わぬ方向で。
――最初の格闘の感触というのは高校の柔道部。
そうですね。しめられた時は、たまんなかったです。いわゆる“落ちる”体験をして、こういうのはすごいなと思って、やられる前にやるしかないなと。これが原点ですね。
○会社勤めは先が見えて
――中央競馬会を辞められた時の周りの反応は?
同期とかは、何でこんないい会社を辞めるんだというのが多かったですけど。先が見えちゃったというのかな。何歳に課長になって、何歳に次長……終わり。まだ若いし、やりたいことをやりたい。柔道は、はっきり言って飽きた。世界の舞台でやってきて、目標がそれ以上なくなって。
――そして猪木さんとの出会い。
夢を与えられるのは、限られた人で、君はそうなれる人間なんだから、と言われた。初めはよいしょされてんのかと思ったけど。柔道でやってきたことすべてが必要になってくるとも言われました。
――ご家族は時々会場には見にいらっしゃる。
いや、見に来させません。おれの役目はワルが多いんで。ファンの心理というのは時に恐ろしいものですからね。そんなのに巻き込まれたら、大変ですから。4歳の息子は、テレビで見てます。保育園に送り迎えに行くと、友だちがみんなおれとかのまねをしてて、よくたたかれますよ。
――お子さんは格闘技をやっているんですか。
いえ、今はクラシックバレエをやってます。
――えっ男の子じゃなかったでしたっけ。
男の子です。発表会にも2回くらい行ったことがあります。まあ、格闘技と同じでエンターテインメントでいいんじゃないかな。
○常に自分をゼロに置く
――新世紀で、みんなが期待しているのは……。
ヒクソン戦ですね。実現は50%くらい。秋に。
――勝つ自信は。
勝ち負けより、おもしろくなるか、ならないか。客に何の感動も与えられなかったら全然つまんないし。負けたとしても負けぎわ、勝ったって勝ち方が大事。最後は、勝って笑いたいというのが本音だけど。結局、サラリーマンとかが、刺激を求めるために苦労して稼いだお金で見に来てもらったら、おれもプロとして適当なことできねえというのがありますね。
――刺激的な発言がいつも楽しみです。
自分を演出していけと、周りから厳しく言われている。ぱっと目を閉じて、明日の新聞が目に浮かべばいいかなと。
――格闘界を見渡して、おれはやっぱり強いと思いますか。
全然。強い弱いは人が決めることであって。強いと思ったら練習しなくなっちゃうし。常に自分をゼロにリセットしとかないと。
○ネット中継、増やしたい
――今後のプロレス界は。
森総理がIT(情報技術)革命と言ってますけど、プロレス界のIT革命は2、3年前に打ち上げてんですよ。インターネットでUFO(世界格闘技連盟)の試合を無料のサイトで流したことがあるんですが、これをもっと増やしたい。電話線1本あれば、世界が見てくれますからね。そうすれば、地方の小さな会場でも回れるようになる。小さな会場で見るプロレスは迫力がありますからね。
◇ ◇
●モデル並み格好よさ ヒールだがヒーロー
部屋に入っていらした瞬間、モデルかと見まがう格好よさ。柔道時代より30キロほどスリムになったとか。あのころと志向も別人になった気がしていたけれど「やるからにはやる」という部分で不変なんですね。今はファン第一の徹底したプロ意識。冷静に自身やプロレス界をみつめながら次から次に話が出てくる。ヒールだけどヒーロー、21世紀も暴れてください。
<2001年1月9日付朝日新聞夕刊>
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