第1回
会田誠のもう一つの戦争画シリーズ
「裸で御免なさい」
 それは不思議な経験だった。

 今年の春、六本木ヒルズの森美術館で行われた「会田誠展:天才でごめんなさい」という人を喰ったタイトルの展覧会場でのことだった。私のもともとのお目当ては、現代美術家である会田誠の初期の代表作「戦争画RETURNS」シリーズだった。2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービルへの飛行機テロの五年前に描かれた「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)」(1996)はすでに見ていたが、それ以外の作品は未見だった。

 現代美術にうとい私にとっては、会田誠とは『カリコリせんとや生まれけむ』『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』(ともに幻冬舎)という、いかがわしく、かつ長ったらしいタイトルの二冊のエッセイ集の著者であった。画家には文章家が多いが、この人はまぎれもなく、当代一流の文章家なのではないか。画家の持つ視覚の強度はもちろんだが、ストレンジな日常感覚の描写、日本の社会への鋭い批判の眼、「馬鹿」を装って軽く流しているようで、その実、志が伝わってくるエッセイ。決して「馬鹿」ではないことは、文章ですぐに馬脚を現わしてしまう。その一点を除けば、完璧といえるエッセイストなのである。


紐育空爆之図(戦争画RETURNS)(1996)
© AIDA Makoto, Courtesy Mizuma Art Gallery
  戦争画、正式には「戦争記録画」は、日中戦争の途中から敗戦までの時期に、陸海軍が画家たちを動員して描かせ、銃後の国民たちがこぞって鑑賞することで、戦意高揚を図った、負の記憶にまみれた一群の絵画である。終戦後、戦争画の代表作百五十三点はアメリカに持ち去られ、昭和四十五(1970)年に「無期限貸与」という形で返却された。しかしいまだに一括公開はされず、国立近代美術館は常設展示などで、目立たないように、こそこそと公開するのみである。持ち去られなかった作品も、戦争責任に問われることを恐れた作者や関係者によって終戦直後に処分されたものが多く、戦後七十年近くたつのに、いまだに日陰者の存在に甘んじている。学界での研究こそ進んできて、2007年には国書刊行会から『戦争と美術1937-1945』という大判の画集まで刊行された。このたび、この連載に備えて、大枚一万五千円(税別)を払って、『戦争と美術』を入手してみたら、肝心の藤田嗣治の作品は、代表作七作の作品解説はあるのに、カラー図版は存在しない。選考委員の合意によって掲載作品に選ばれたにもかかわらず、君代夫人の許可が得られずに収録できなかったのだ。戦争画はいまだに呪われた絵画なのだろうか。そんなことはともかく、一万五千円のうち、七千円(税込)ぐらいは損した気分である(2009年に君代夫人が亡くなり、そうした状態は改善されているようだが)。

 「戦争画RETURNS」シリーズは、1995年から1999年までに、会田誠が太平洋戦争を題材にして描いた作品群である。そこでは、大東亜共栄圏が、日中関係と日韓関係と日米関係が、天皇陛下万歳が、玉砕と散華が、原爆ドームが、巧みに「現代美術」化されていた。会場で聞いた音声ガイドでは、会田自身の気の抜けた声によって、こんな紹介がされていた。

 「まずは現代美術っていうものをやるからには、一度は社会派っていいますか、あるいは歴史を題材にしたものを作ろうとトライするのが当然だろうなと。でも最初から太平洋戦争とはこうとか、戦争とはこうとか、何か結論ありきで始めたわけじゃないので。それぞれの作品が発しているかのようなメッセージも、それぞればらばらで。全体を見渡したら、僕の何て言いますか、政治的なスタンスとかどこにあるのか、よくわからないようなシリーズになってると思いますけど。シンプルに何かメッセージや言葉で言いたい事がまとまっているわけではない、混乱したままの状態をそのまま見せてるというシリーズですね」

 作者の音声ガイドには、「一度は社会派」にトライとか、「作品が発しているかのようなメッセージ」とか、作者の韜晦(とうかい)の気分が濃厚だが、それをまともに受けとめる必要はないだろう。『ユリイカ』2006年5月号の藤田嗣治特集号では、「わだばフジタになる!?――「戦争画RETURNS」制作秘話」という、棟方志功をパクったタイトルのインタビューで、「馬鹿」さ加減を減らして語っている。


「美しい旗」(戦争画RETURNS)(1995)
© AIDA Makoto, Courtesy Mizuma Art Gallery
  「僕の「戦争画RETURNS」というのは、もともとニューヨークが火の海になっているという『紐育空爆之図』と韓国人(の少女)と日本人(の少女)がそれぞれの国旗を持っている『美しい旗』というのが近い時期に二つ浮かんで、二つ同じようなモチーフなので、まあ、太平洋戦争をテーマにしてみるかと思って、その前にたまたま「戦争画」の存在をそのいわくとともに知ったものですから、それに「RETURNS」とちゃらい感じでつけてシリーズ化してみようということだったんですね。そこで、あらためて戦争画を一通り見てみたんですけど、やっぱり(藤田嗣治の)『アッツ島玉砕』と『サイパン島同胞臣節を全うす』が気になりましたね。写実性としては、別の画家のもっと上出来な絵もあるかもしれないですけど、極端なパッションとモチーフの選び方が突出している。(略)それでせっかくだから戦争画にインスパイアされたものを一つこのシリーズに入れたいと思って、ちょっと無理矢理でしたけど、『大皇乃敝尓許曾死米(おおきみのへにこそしなめ)』というイルカが大量自殺しているような、何が描いてあるかよくわからないぐちゃぐちゃした画面を『アッツ島玉砕』をイメージして作ったんです。作品としてうまくいったかはわかりませんけど、やっぱり『アッツ島玉砕』で何かやりたいと思ったということですね」

 「ちゃらい感じ」でつけられた「RETURNS」は、映画「バットマンリターンズ」のような人気作品の二匹目ドジョウ狙いという軽いノリで、「戦争画」という暗くて時代錯誤なイメージの軽減をはかっている。それだけでなく、「無期限貸与」という形で戦勝国から戦敗国に返却された「帰ってきた戦争画」をも、そこに重ねているのだろう。その戦略的なネーミングにも、クセ者らしいたくらみが顕著である。

 会場の「戦争画RETURNS」のコーナーにはしばらく足が釘付けになってしまった。その感想のいちいちを今語っていると本題へと進めないので、いまはすべて割愛して、展覧会の先へと進む。

 首をくくろうとしても必ず失敗する仕掛けになっている「自殺未遂マシーン」、会田誠自身が扮した「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」、「美少女」という文字を前に,無念無想(邪念邪想?)で全裸になってシコシコする会田誠のゆるんだお尻の立ち姿が一時間以上拝めるビデオ作品「イデア」(五分ほどで見るのはやめたが)、ニンテンドーDSに目まぐるしく映し出される日本の歴代首相のドアップの顔面画像「ゲームの国」等々、面白いのか面白くないのか、微妙なあわいにあって、脱力だけはしている作品群を愉しんだ後のことだった。


「ジューサーミキサー」(2001)
© AIDA Makoto, Courtesy Mizuma Art Gallery
  「ジューサーミキサー」(2001)と「灰色の山」(2009-11)という二つの巨大な絵画が並べて展示してあるコーナーに来た。どちらも清々しい雰囲気がただよう画面である。よく見ると、二枚とも大量の死体が丹念に、丹精込めて描かれている。

 おびただしい数の全裸の美少女たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれた巨大なジューサーミキサーにスイッチが入り、鮮やかな血の海が下から上へと嵩を増し、ジュースがまさにできあがろうとしている。美少女たちは、官能的なポーズに、無感動な表情をたたえている。赤く染まっていくあたりに漂う美少女たちは、むしろ恍惚の表情を浮かべているように見える。

 その隣では、天から降ってきて山をなしているネクタイ姿のさまざまな人種の男たちは。美少女よりもさらに人数を増している。目鼻立ちを失った顔はのっぺりとして、個性を奪われ、みっともないポーズで折り重なっている。グレイを基調とした画面ゆえか、ひっそりとした死体の山である。

 二枚とも、大量死の現場なのに、阿鼻叫喚とはほど遠い静謐が支配している。先ほど見たばかりの「戦争画RETURNS」の残像があるために、二枚の絵は、明らかに藤田嗣治の傑作戦争画「アッツ島玉砕」へのオマージュだとわかる。しかも荒々しいタッチで暴力的に提示された「大皇乃敝尓許曾死米(おおきみのへにこそしなめ)」よりも、より本質的な「アッツ島玉砕」の影響が感じられる。

 こちらの頭が「戦争画」モードに切り替わると、会場のさまざまな作品が「戦争画RETURNS」の続編として見えはじめた。

 「ジューサーミキサー」と「灰色の山」の対面の壁に展示されているのは、制作途中で未完成の大作「Jumble of 100 Flowers」だった。パープルの髪をなびかせながら、五十人以上の裸の美少女が、こちらに向かってくる。乳首が描かれていないところからするとアンドロイドなのだろうか。それにしては表情は楽しげで、天真爛漫と、あっけらかんと駈けてくる。無防備な肉体は狙撃されて、肌は破裂し、首は飛んでも、まったく動じていない。傷口からは血や肉片の代わりに、いちご、金貨、蝶、花などが勢いよく飛び散っている。この突撃、散華するイメージから、私は川端龍子の「爆弾散華」を思い出した。日本画の大家であった龍子が「香炉峰」「洛陽攻略」といった戦争記録画のあと、敗戦直後の「爆弾散華」という作品で描いた、爆風に吹き飛ばされる花、草、トマトのよじれた姿に、それらが重なったからだ(「爆弾散華」は昭和二十年十月、戦後初の展覧会で発表された作品だが、『戦争と美術』では選定された九十九点の戦争画の掉尾を飾っている)。

 会場内にしつらえられた「18禁部屋」に入っても、「戦争画RETURNS」は私の中で続いていた。「食用人造少女・美味(みみ)ちゃん」シリーズ(2001)は、愛くるしい全裸の食糧人形・美味ちゃんが、笹だんご、イクラ丼、太巻きなどになる画期的な携行食糧メニューなのだが、これこそ、最前線の兵士たちに届けたい食べ物ではないか。あの戦争で三百万を超えた日本軍の死者のうち、七割以上は餓死だったというのだから。

 児童ポルノではないかと物議をかもした「犬」シリーズ(1996-2008)も「18禁部屋」に展示されていた。四肢を切断され、首輪をはめられた裸の美少女たちが、地面や畳の上にかしこまっている。屈辱的な姿勢のはずなのに、少女たちは毅然としている。包帯からはいまだに血が滲み出ている。かぼそい二の腕は、とても身体の重みを支え切れるとは思えない。そんな非現実的なヌード像から、私はなぜか傷痍軍人の姿を思い出していた。昭和四十年代くらいまでは、白衣を着、軍帽をかぶった傷痍軍人が盛り場に座り込んで物乞いをする痛々しい姿をよく見かけた。まだ戦争が終わっていない人々をちらりとでも目にするたびに、見てはいけないものを見てしまったような後ろめたさに引きずり込まれた。その疼痛のような感覚が想起されてくるのだった。

 「戦争画RETURNS」シリーズ後遺症とでもいうべきものが、私の中で発症したのだろうか。おそらく作者の会田誠の意図を越えて、私は戦争画の亡霊にとり憑かれてしまったのだろう。それも、裸の絵ばかりが戦争に結びついてしまう。なんなんだ、これは。

 無理矢理にこじつければ、無防備な状態で裸の肉体をさらし、傷つき、死にゆく、そんな不条理な状況を、従容として受け容れるしかない少女たちのけなげさが、召集され、前線に送られ、命令に服従し、飢餓と恐怖にさいなまれ、それでも降伏も許されない、そうした日本の兵隊たちの運命と、どこかで重なってみえるからだろうか。

 展覧会のタイトル「会田誠展:天才でごめんなさい」からの連想で、私は若き日のブリジット・バルドー主演の映画のタイトルを思い出していた。こちらは「天才」に比べるとはるかに謙虚で、可愛らしいタイトルである。
「裸で御免なさい」                          
(了)
 

著者プロフィール

平山 周吉(ひらやま しゅうきち)

1952年東京都生まれ。雑文家。慶応大学文学部卒。雑誌、書籍の編集に携わってきた。昭和史に関する資料、回想、雑本の類を収集して雑読、積ん読している。現在、「新潮45」「週刊ポスト」に書評を執筆している。4月下旬に、初めての著書『昭和天皇 「よもの海」の謎』が新潮選書から刊行。