すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


象潟(秋田県にかほ市)






日本三景の一つ、松島。その松島と並び称される景勝地であった象潟は、松尾芭蕉の奥の細道にも「松島は笑ふが如く、象潟は(うら)むが如し」と記され、往古より文人墨客の憧れの地であった。


  ・・・と、ここまで書いてその後が続かない。


いろいろ考えたり、資料を見たりするのだが、どうも文章が進まない。
とりあえず地元のにかほ市のホームページの案内文を転載する。

景勝地・象潟の成り立ち
 いにしえの「象潟」は、百数十の島々を浮かべた文字どおりの潟であり、奥羽の景勝地として松島と並び称されてきました。この「象潟」の原形をつくったのが鳥海山の噴火(山体崩壊)であり、その時期は埋もれ木を調べた結果、紀元前466年であることがわかっています。
 景勝地「象潟」には松尾芭蕉をはじめ多くの文人たちが訪れ、発句や歌に詠み、印象を旅日記に書き留めてきました。しかし、文化元年(1804)の地震で「象潟」は陸となり、島々は現在、水田に点在し往時を伝えています。
 景勝地「象潟」は、日本海のすぐ近くに鳥海山がそびえ立つ特殊な地勢と鳥海山の噴火活動がつくりあげ、後に地震で姿を変えたいわば自然活動の記録です。
(にかほ市)
ありがとう!にかほ市



歴史をさかのぼると、
紀元前466年に鳥海山が噴火し山体崩壊が起こり、流れ山が日本海まで流れ込み、多くの小島ができた。
その後に砂洲が発達し、内側に潟湖ができあがり、潟湖に小島が浮かぶような地形となった。
松の木が生えた多くの小島が内海に広がる風景は、「九十九島、八十八潟」と呼ばれ、風流の勝地となった。

平安時代中期に能因法師が象潟にやってきた。

世の中はかくても経けり象潟の海士の苫屋をわが宿にして 能因法師

能因法師はこの有名な歌を詠み、そしてなんと、象潟の景色が気に入ったのかこの地に3年間も住んだそうだ。

鎌倉時代初期に、西行が象潟を訪れた。そして次の歌。

きさかたの桜は浪にうづもれて花の上こぐあまのつり舟 西行

象潟の水面に散り広がる桜の花びらの上で舟を漕ぐというもの。

そして江戸時代、能因法師と西行に憧れてやってきたのが松尾芭蕉。 
舟で島巡りに出掛け、真っ先に着いたのが能因法師が3年間隠棲していた能因島。その次は西行ゆかりの桜の老木を見学。
芭蕉は象潟の風景を、憂いに沈んだ美女の面影に似ているとし、

象潟や 雨に西施が ねぶの花 松尾芭蕉

と詠んだ。

その頃の象潟の様子を描いた絵図が、JR象潟駅の案内板にあった。 



孤峰として悠然と裾野を広げる鳥海山を背景として、九十九島・八十八潟が広がる。江戸時代の紀行家である菅江真澄は「春来れば白桜の花影をうるおし、青松翠陰を落とす。佳興殊に甚だし。」「其の好景、東溟の松島と相い表裏す」(出羽日記)と記している。
う〜ん、たしかに松島に匹敵する絶景である。

ところが1804年に象潟地震が起こり、象潟は隆起して陸地化してしまった。水田が広がる中にかつての小島が点在する現在の光景になった。
明治時代に象潟を訪れた正岡子規は、「象潟は昔の姿にあらず、塩越の松はいかがしたりけん。」(はて知らずの記)と嘆き悲しんだ。

















2018年夏、私は能因法師、西行、松尾芭蕉、正岡子規らの足跡を訪ねる旅に出た。目的地は象潟。仙台空港からレンタカーで向かった。
その日は大雨警報が発令され、どしゃ降りであった。


着いたのは象潟にある干満(蚶満)寺(かんまんじ)。
駐車場から庭園の公園を巡った。



芭蕉が来た時も初日は雨だったようだ。




いやはや雨が強すぎて、道が水に浸っている。
象潟地震で陸化する前の、入り江時代の象潟に戻ったような光景だ。




西施像があった。中国の伝説の美女。越王勾践から呉王夫差にいわゆるハニートラップのように贈られ、その間に勾践は臥薪嘗胆したという話。



芭蕉の歌(再掲)
象潟西施ねぶの花 芭蕉
この中のキーワードの、が降っていて、西施の像があったものの、惜しいけれどねぶの木にははなかった。


芭蕉像の傍らに句碑




ねぶ
現在では合歓(ねむ)の木。
夏前にピンク色で線のような扇のような南方系のような、文字では説明できないけど、本当にきれいな花が咲く。




傍らに西施の絵図碑




拡大図。西施が舟に乗っている。




そしてこれは芭蕉像。




芭蕉像の横に合歓(ねむ)の木。




公園の外には水田が広がり、その中にかつての小島があった。




鳥海山方面。全く見えなかった。




干満寺の山門




本堂




境内には様々な史跡が保存されていた。
これは「舟つなぎの石」。昔はこの前に舟が着いたのだろう。




「西行法師の歌桜」
西行の歌、『花の上漕ぐ〜』のゆかりの木。




「親鸞聖人の腰掛け石」
干満寺と親鸞て、どう関係あるのかな?




これは芭蕉の木。
(松尾)芭蕉つながりだろう。




何の写真だったのか




これも何だったか忘れた。




「〜ねぶの花」の句碑もあった




そしてこれは、六人分の句碑

象潟や 波のにしきを いねの花 楽水
象潟や 其月かげを 啼く千鳥 瀾夕
象潟や /\いねの 波よする 提文
象潟や 雁のなくねも 幾千里 古石
雁おもふ 夜や象潟 ゆめに入 蘭栄
象潟や 橋にもたれて タ涼み 子奧






















これはJR象潟駅前にあった奥の細道の文学碑

文学碑の文章
象潟                      
きさかたの 雨や西施か ねぶの花
夕方雨やみて処の 何がし舟にて江の中を 案内せらるヽ
ゆふ晴や 桜に涼む 波の華
腰長の汐といふ処は いと浅く鶴おり立て あさるを
腰長や 鶴脛ぬれて 海涼し


















とにかく雨が強くて大変でした。






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