04.9.20 アイテムえひめ

 大阪プロの公式サイトで、愛媛大会の開催を知った私は、非常に嬉しく、ずっと楽しみにしていた。アイテムえひめでプロレスがあると、よく、電柱やコンビニにポスターが貼られるが、今回、一枚もポスターを見かけなかったので、「ほんとにあるんやろか」と不安になってきた。週プロの日程表にも載っていたし、ローソンでチケットも買えたので、多分あるだろうとは思っていたが、フリーペーパーに広告が載っているのを見て、ようやく安心した。「聴覚福祉事業支援ネット」というNPOの主催らしいので、普通のプロレスとは宣伝の仕方も違うのだろう。そうなると、今度は集客の方が心配で、ドキドキしながらアイテムに行った。大会タイトルは「坊ちゃん嬢ちゃん、ぃよっといで!松山にいくでぇ!!」で、なぜか異様なまでに気合いが入っている。
 開場の少し前に着いた。ロビーには、人がそこそこ集まっていた。聴覚障害者支援のための署名を集めていたので、とりあえず参加した。全席自由席なので、デルアリ慣れしてしまった私は、どこかで整理券が配られるものと思ってウロウロしたが、そんなものは配っていなかった。かといって並ぶわけでもない。そろそろ開場かなと思うころになって、皆、何となく入り口付近に集まる。さすが愛媛はのんびりしたものだ。多分トイレに行くためだと思うが、ロビーを、選手が普通に行き来していた。私が行ってから開場までのわずかな時間に、ユタカ選手、トルトゥガー選手、ミラクルマン、タイガースマスク、MA−G−MA選手が出てきた。MA−G−MA選手がトイレに向かう背中に、「心臓治ったんーー?」とファンが声をかけると、MA−G−MA選手からは、「Tシャツ買うてくれや」と、かみあわない返事がかえってきた。

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 何とか、一列目に座ることができた。お金がないので、試合前は物販には行かず、おとなしく座っているつもりだったが、デルアリと違ってすいているだろうからゆっくり物色できると思うと、ついフラフラ行ってしまった。まず「月刊大阪プロレス」を買う。裏表紙の見返しに「本日の対戦カード」スペースがあるが、ここに対戦カードが書かれているのを、私は未だかつて一度も見たことがない。それが今日はあって、デルフィン選手の手書きで印刷(プリントゴッコ?)されていた。「年に一回は来たいです。大阪にも来てや!USJも楽しで、吉本も!」と書いてあった。
 それを見て心温まりながら、またフラフラと、少し離れたところにある岸和田愚連隊の物販の前を通る。デルアリに行くたびに、愚連隊はヒールなのに人気があるなあと思うのだが、保守的な愛媛県人にはヒールは嫌われるのか、今日はあまり人がいなかったので、つかまり、ついに(今年二月の観戦記参照)、QUALLT選手のTシャツを買う。私は、Tシャツにサインを入れてもらうと、もったいなかったり恥ずかしかったりで着にくいので、サインは他のものにしてもらうのだが、今回、おつりをしまっている間に書かれてしまった。Tシャツにサインしてもらうのは、まだみちのくプロレス時代のデルフィン選手にしてもらって以来だ。おまけにシールをもらったりして、満足したので、あやうく、買ったTシャツはそのまま忘れて行くところだった。

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 試合前、主催のNPOの人がリングに上がったが、靴を脱いでいた。一般人が、プレゼンター等でリングに上がることは多いが、靴を脱ぐ人ははじめて見た。私はこのアイテムえひめで、闘龍門のタイトルマッチの前に花束嬢をやらされたことがあるが、そのときも脱がなかった。礼儀正しい人達だ。NPOの人は、障害者が優先的に入所できる老人ホームの建設などを訴えた。客席四面のうち、二面の前の方に、障害者の方達が、大勢、招待されて来ていた。「選手が場外に出たら、選手のまわりを広くあけてください」と、練習生が、リングサイドまでお願いに来るのだが、第一試合では、ゴア選手が障害者の方達の中につっこみ、選手のまわりをあけるどころか、皆さんびっくりして固まっていた。
 第一試合は、ゴア選手とペロ。ペッキーちゃんを久しぶりに見たら、またコスチュームが変わっていた。ペッキーちゃんは、私が見始めた頃は全裸のピンクの犬だったのに、今は服を着ていて、とてもカワイイ。しかも、レースのパンツをはいている(写真はパンチラショット)。犬なのに、パンツが見えるとついつい目が行ってしまう、自分の性(さが)を悲しく思う男性ファンも多いだろう。
 ペロも、以前は全裸だったが、今はつりズボンをはいていてカワイイ。ところが今日は、ペロのしっぽがもげるという大惨事が発生!!冨宅さんが以前、試合後のコメントで「ペロのしっぽに関節技をかけた」と自慢していたことがあったが、そのときのダメージのせいだろうか。もげたしっぽは、セコンドのタイガース選手がつかんで、何事もなかったかのように握りこんでしまったが、かわいそうに、ペロは痛かっただろう。流血しなかったのが不思議なくらいだ。

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 第二試合は、ユタカ選手とMA−G−MA選手の、愚連隊対決。私が大阪プロレスを見始めてから、一番変わったのが、このユタカ選手ではなかろうか。はじめて大阪プロレスのリングに上がった冨宅さんの相手をつとめてくれたときは、キックの得意な普通の選手だったのに、やがてアイドルと化し、チカコとの破局を経て、今は愚連隊入り、北斗晶ばりの黒い唇だ。鬼嫁だ(違う)。チェーンをジャラジャラさせながら入場してきたが、練習生に手渡してリングに上がり、練習生はそれを、キッチリリング下にかたづけてしまう。「しまっちゃうのかよ!」と、三村風ツッコミの一つも入れたくなるが、愚連隊の試合では、リング下からいろんなもの(椅子とか)が出てくるので、油断はできない。
 MA−G−MA選手は、心臓疾患から復帰してから少し締まった感じで、今なら、新日のスーパーJrにも問題なく出られそうだ。MA−G−MA選手は、ノリノリで、「おまえら、ラストライド見たいかーー!!」などと客をアオリながら、ラストライドでユタカ選手をフォールした。試合後は、ユタカ選手を助けおこし、健闘をたたえていた。

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 第三試合は、ミラクルマンとデンセンマンの試合。トルトゥガー選手が、たまに変身してデンセンマンになることは知っていたが、見るのははじめてだ。昔のデンセンマンのことは、懐かしすぎて記憶がない。しかし、人間の記憶は、思い出せなくても消えるわけではないので、私も、観葉植物のベンジャミンを見るたびに、「伊東」という言葉が脳裏に浮かび、「なんでやろ、なんでやろ」と不思議に思っていたことがある。これこそ、無意識下の記憶というものを裏づけるものだろう(別にそれほどでもない)。
 デンセンマンは、懐かしのデンセン音頭に乗って入場してきた。久しぶりに聞くとまた強烈で、一週間ぐらい、「ヨイヨイヨイヨイ おっとっとっと」が、頭の中でリピートしている。このデンセンマンは、手に触れると、軽〜く感電してしまうが、そんなには痛くないという、恐ろしい必殺技を持っていて、それで、松井レフェリーやミラクルマンを感電させていた。ミラクルマンは、痺れながら、あからさまに低いテンションで「うわわわ〜」と、棒読みな悲鳴を上げていた。
 デンセンマンは、何をされても「痛くない!!」と言い張るところ、ちょっと意地っぱりらしい。客席から、「今のは痛かったやろ」と声が飛んでも、「痛くない!!」とムキになって答えていたが、「このふざけたヤツをぶっ潰します」(入場式でのコメント)と宣言していたミラクルマンに、恥ずかし固めをかけられた上、負けてしまった。

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 休憩後の第四試合は、タイガースマスク、ビリーケン・キッドの王者組対、ブラックバファロー・QUALLTの、岸和田愚連隊組。虎ビリーは、二人でベルトを巻いて入場してきたが、タイガース選手が入場通路を間違え、練習生が必死で引きとめようと追いかけるのも間にあわず、正規のルートで入場したビリー選手より異常に早くリングインしてしまった。バファロー選手とQUALLT選手が入場するとき、凶器のバットを持ってきたのは普段の光景だが、この日はなぜか、バットの先にスパイク(多分)がひっかけられていた。理由はわからず、今でも気になっている。
 QUALLT選手のコールの際、「第二の故郷に錦を飾る・松山市立道後小学校三年四組OB!!」と紹介されたので、お客が沸いた。大阪プロのリングに突如光臨した恐怖の大王が、道後小学校で、世を忍ぶ仮の小学校生活(byデーモン閣下)を送っていたとは、本当に驚きだ。それにしても、居たのは三年生のときだけだったのだろうか。ちなみに私は愛媛大学附属小学校で、三年生のときは永井先生に受け持ってもらっていた(だから何だよ)。永井先生は、給食を残してもいいと言ってくれたので好きだった(関係なさすぎだろう)。
 QUALLT選手は、錦を飾るべく、積極的に場外乱闘をくりかえす。デルアリと違ってアイテムは椅子席だが、やはり、リング下に隠していたパイプ椅子が活躍していた。アイテムの椅子は連結式なので、人を殴るのは難しいのだ。まあ、もともと、どんな椅子でも、人を殴るためのものではないが。
 お客にはチビッ子が大勢いたが、ものすごい必死で、虎ビリーを応援していた。チビッ子は全員、興奮のあまり座ってなんかいられず、通路で、「あんなバファローなんか、おれやったら、こうして、こうして」と、蹴る格好をしている子もいれば、あやうく試合に介入しそうになって親に止められる子もいた。そんな応援の甲斐あってか、タイガース選手がバファロー選手をフォールして勝った。
 QUALLT選手は、錦を飾れなくてよほど悔しかったのか、放送席のマイクをつかんで、「ちくしょぉぉ〜〜!!!」と絶叫した。バファロー選手は、そのマイクを取ると、「すいません、でも、最後のミスは何ですか!!道後小で、いったい何を教わってきたんですか!!!」と怒鳴り、QUALLT選手は頭をかかえていた。
 虎ビリーの二人は、応援してくれたチビッ子にアピールし、リングを降りると、ビリー選手が男の子を肩車してくれ、チビッ子は大喜びだった。

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 メインは、デルフィン選手、くいしんぼう仮面組と、えべっさん、Gamma選手組。昨年末のディファ有明に続き、えべっさんにお賽銭をあげることに成功。今回、大阪プロレスをはじめて見るらしいお客さんがほとんどだったが、くいしんぼうにあげるお菓子を用意しているファンの人もたくさんいた。私は、くいしんぼうが投げてくれたおせんべいをキャッチした。家を新築するときや、お祭りのときにするもちまきでは、もちをキャッチできたことなどないのだが、そんな私でも、このおせんべいは何回かキャッチできている。本当に珍しいことだ。関係ないが、全国で売られているクラッカーのほとんどは、愛媛県で生産しているそうだ。デルアリで、くいしんぼうのコールのときにお客さんが鳴らすクラッカーも、もしかしたら愛媛県産かもしれない。
 おなじみのネタが満載で、おもしろかった。次に何が来るかわかっていても笑ってしまう、ていうか、むしろ待ってしまうところは、吉本新喜劇と同じだ。えべっさんが、くいしんぼうに、シャイニング・えべザードを決めて勝った。えべっさんは、マイクを取って挨拶をしたが、やはり最後は、デルフィン選手に締めをまかせた。デルフィン選手が、「えー、今日はほんとに、ありがとうございます」と言ったところで、いきなりエンディングテーマが流れだし、「もうちょっと喋らせろや」とボヤいていた。音楽が止まると、デルフィン選手は、「これからも、一年に一回、いや、半年に一回は来たいです!大阪にも来てください」と言っていた。本当に、半年に一回ぐらい来てくれたら嬉しいんだが・・。パンクラスが、「一年に一度は青森で試合をします」と言ってから一度もやっていないトラウマがあり、疑心暗鬼になっている私だった。
 そんなことはいいが、地元で大阪プロレスが見られて、とても嬉しかった。そして、障害者の方達が、デンセンマンやえべっさんを見て楽しそうにゲラゲラ笑っている姿、子ども達が、リング撤収を手伝っているタイガース選手の後ろに集まって、小さな声で恥ずかしそうに「タイガース、あくしゅして・・」と言っている姿、ようやくそれに気づいたタイガース選手が、握手してくれたり抱っこしてくれたりして、子ども達が本当に嬉しそうにしている姿を見ていて、生まれてはじめて思ってしまったのだ。「ああ、プロレスっていいなあ」と。恥ずかしくてスマン。

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☆☆☆おまけ☆☆☆

 パンクラスファンの皆様、くいしんぼうがくれるおせんべいはこんなんですよ!青のりしょうゆ味。おいしいです。観戦のおともに最適(拾ったその場で食うのかよ←いいじゃん)。 


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